ムーン・リヴァー
2010.02.11 Thursday
【ムーン・リヴァー】栗本薫
(あらすじ)
美しくけだるげで、誰よりもやさしい青年・森田透。大スター・今西良が監獄に入ってからも、透は変わらない。良と面会し、長年のパトロンで、作家となった島津と暮らす。しかし島津がガンに侵され、すべては変わった。死を前に、透への深く激しい愛に気付いた島津は、透を愛することと、小説の執筆に、その命を燃やし始め…。『朝日のあたる家』を継ぐ、「東京サーガ」完結巻。
(感想)
人生で初めて号泣した小説は何ですか?と問われれば、迷わずに栗本薫さんの【翼あるもの (下) (殺意)】だと答えます。
単行本の初版が1981年発行、ということは今から29年前?私がその本を読んだのは中学生の頃でした。
【翼あるもの (上)(生きながらブルースに葬られ)】 では作曲家・風間俊介の視点を通じて「今西良」というひとりのアイドルを巡って彼を愛した男たちが破滅してゆくさまが描かれ。【翼あるもの (下) (殺意)】では、その「今西良」のためにアイドルの座を追われて、男娼になってしまった元歌手・森田透がどん底の中でようやく愛することのできる男を見つけることができたにもかかわらず、自分の浅ましさでその愛する男を苦しめ、失ってしまい、その罪の意識の贖罪の為に墜ちて行く。そんな同じ物語、同じ情景を、それぞれに反対の視点から描いている作品でした。
この「森田透」の物語が悲しくて、切なくて。当時の自分はまだ小娘で当然そんな身を切られるような恋情も憎しみも知らないにもかかわらず、それでも描かれる愛憎の強烈さに呆然としたのを覚えています。
私は普段から「ドロドロの執着愛が最高!」と連呼していますが、今思えば、この「執着愛」への執着はこの作品がトラウマになっているのではないかと。それくらい当時の私には強烈な物語でした。
【朝日のあたる家】のシリーズ(全5巻)は、「翼〜」の事件から7年後の物語。事件後、一時は愛する人を失って死ぬことすらできない廃人となった森田透だが、気まぐれで自分を拾い残虐なSM行為で玩んだはずのTV界の辣腕プロデューサー島津と今では奇妙な関係を築きながら、ジゴロとして自堕落な生活を送っていた。そんな中、自分の全てを奪った今西良と運命の再会をはたし、その今西良と愛し合うようになるまでの物語。
物語のラストは透と良はスキャンダルに塗れた逃避行の中で愛を確かめ合い、透は良を愛することでかつて愛した巽に囚われていた心を解放し、良は巽を殺した罪を償うことを決意する。そして島津もまた透を愛していることを告白し、命を賭けて透を守り、見守ることを誓う。
そういった物語のその後の物語がこの【ムーン・リヴァー】
ご存知の通り、作者の栗本薫さんは去年すい臓がんでお亡くなりになりました。この物語を栗本さんが執筆されたのはすい臓がんの転移が見つかる前だったそうですが、最終章だけは転移が見つかってから一気に書き上げられたものだそうです。
がんに侵されながら、がんに侵されて死を前にした人間をどんな思いで描いていったのだろうと、背筋が寒くなるような思いです。この方は本当に作家として生まれて、作家として死んでゆく運命だったのだなぁ、と思わずにはいられませんでした。
あらすじで私が大好きだった登場人物「島津正彦」ががんに侵され・・・という文字を見て、ずっと読む勇気がなくて封印していた本ですが、勇気を出して「朝日のあたる家」を再読してから心の準備をしてからページをめくりました。
感想は以下の通りです。「朝日〜」を読んでいない方にはよく分からない内容な上に、ネタバレ全開で、しかもすっごい感情的になってる読了直後の叫びです。実はこれ二回書き直しました(笑)読了して、呆然としながら一回感想を書いて、その後「こりゃ文章になってねえ!」ともう一度書き直し、それでも冷静じゃない自分がわかったので一晩おいて翌日もう一度書き直しました(えー?!)また書き直したくなるかもしれませんが(涙)
あと、実際この物語は「朝日〜」から続いているとすれば、年齢や時間軸などつじつまのあわない所がいくつかあったりします。たとえば良の刑期とか、島津の小説家歴とか、透と島津の年齢とか。でも、そういう所は作者の栗本さんがどうしても譲れないこだわりがあったのだと目をつぶり、なおかつこれをBLとして読んだ私の感想です。
そこのところをOKしてくださる方のみ続きをどうぞ。
(あらすじ)
美しくけだるげで、誰よりもやさしい青年・森田透。大スター・今西良が監獄に入ってからも、透は変わらない。良と面会し、長年のパトロンで、作家となった島津と暮らす。しかし島津がガンに侵され、すべては変わった。死を前に、透への深く激しい愛に気付いた島津は、透を愛することと、小説の執筆に、その命を燃やし始め…。『朝日のあたる家』を継ぐ、「東京サーガ」完結巻。
(感想)
人生で初めて号泣した小説は何ですか?と問われれば、迷わずに栗本薫さんの【翼あるもの (下) (殺意)】だと答えます。
単行本の初版が1981年発行、ということは今から29年前?私がその本を読んだのは中学生の頃でした。
【翼あるもの (上)(生きながらブルースに葬られ)】 では作曲家・風間俊介の視点を通じて「今西良」というひとりのアイドルを巡って彼を愛した男たちが破滅してゆくさまが描かれ。【翼あるもの (下) (殺意)】では、その「今西良」のためにアイドルの座を追われて、男娼になってしまった元歌手・森田透がどん底の中でようやく愛することのできる男を見つけることができたにもかかわらず、自分の浅ましさでその愛する男を苦しめ、失ってしまい、その罪の意識の贖罪の為に墜ちて行く。そんな同じ物語、同じ情景を、それぞれに反対の視点から描いている作品でした。
この「森田透」の物語が悲しくて、切なくて。当時の自分はまだ小娘で当然そんな身を切られるような恋情も憎しみも知らないにもかかわらず、それでも描かれる愛憎の強烈さに呆然としたのを覚えています。
私は普段から「ドロドロの執着愛が最高!」と連呼していますが、今思えば、この「執着愛」への執着はこの作品がトラウマになっているのではないかと。それくらい当時の私には強烈な物語でした。
【朝日のあたる家】のシリーズ(全5巻)は、「翼〜」の事件から7年後の物語。事件後、一時は愛する人を失って死ぬことすらできない廃人となった森田透だが、気まぐれで自分を拾い残虐なSM行為で玩んだはずのTV界の辣腕プロデューサー島津と今では奇妙な関係を築きながら、ジゴロとして自堕落な生活を送っていた。そんな中、自分の全てを奪った今西良と運命の再会をはたし、その今西良と愛し合うようになるまでの物語。
物語のラストは透と良はスキャンダルに塗れた逃避行の中で愛を確かめ合い、透は良を愛することでかつて愛した巽に囚われていた心を解放し、良は巽を殺した罪を償うことを決意する。そして島津もまた透を愛していることを告白し、命を賭けて透を守り、見守ることを誓う。
そういった物語のその後の物語がこの【ムーン・リヴァー】
ご存知の通り、作者の栗本薫さんは去年すい臓がんでお亡くなりになりました。この物語を栗本さんが執筆されたのはすい臓がんの転移が見つかる前だったそうですが、最終章だけは転移が見つかってから一気に書き上げられたものだそうです。
がんに侵されながら、がんに侵されて死を前にした人間をどんな思いで描いていったのだろうと、背筋が寒くなるような思いです。この方は本当に作家として生まれて、作家として死んでゆく運命だったのだなぁ、と思わずにはいられませんでした。
あらすじで私が大好きだった登場人物「島津正彦」ががんに侵され・・・という文字を見て、ずっと読む勇気がなくて封印していた本ですが、勇気を出して「朝日のあたる家」を再読してから心の準備をしてからページをめくりました。
感想は以下の通りです。「朝日〜」を読んでいない方にはよく分からない内容な上に、ネタバレ全開で、しかもすっごい感情的になってる読了直後の叫びです。実はこれ二回書き直しました(笑)読了して、呆然としながら一回感想を書いて、その後「こりゃ文章になってねえ!」ともう一度書き直し、それでも冷静じゃない自分がわかったので一晩おいて翌日もう一度書き直しました(えー?!)また書き直したくなるかもしれませんが(涙)
あと、実際この物語は「朝日〜」から続いているとすれば、年齢や時間軸などつじつまのあわない所がいくつかあったりします。たとえば良の刑期とか、島津の小説家歴とか、透と島津の年齢とか。でも、そういう所は作者の栗本さんがどうしても譲れないこだわりがあったのだと目をつぶり、なおかつこれをBLとして読んだ私の感想です。
そこのところをOKしてくださる方のみ続きをどうぞ。
(島津正彦の恋について)
島津の恋は「行き止まりの恋」だったのだなぁ、と思いました。人が羨む出自、才能、容姿。なにもかもを手に入れているように見えた彼ですが、幼い頃のトラウマから人を信じたり、愛したりすることのできない人でした。
そんな彼が長い間見守り続け、支えてきた森田透への恋を自覚したとき、その透は運命の相手・今西良と結ばれてしまいました。それでも彼は「朝日〜」のラストで泣きながら透に愛を告白し、命を賭けて守ると宣言する。
多分、彼は生涯一度の恋を抱きながら、透が良との恋で幸せになっても、不幸になっても、それを見守り、支え続けようと思っていたのだと思います。その後、彼は透を投影させたヒロインの小説を執筆するようになり、文豪としての新たな道を歩み出し脚光をあびてゆく。
自分が生涯叶えることはないであろう透への愛。己の小説の中で何度も何度も繰り返し透を愛し、透に愛を乞い、犯し、殺す。そうすることによって、島津は決して手に入らない透への想いに少しずつ、静かに狂っていったのだと思います。
そんな彼に決定的に留めを刺したのは「胃がん」という病。
この先、良が刑期を終えて透の元へ帰って来た時、嫉妬で狂う自分を想像して苦しんでいた彼は、きっとようやく見えた幕引きへのあらすじが見えたことで、歓喜したんじゃないかな。
自分の人生のラストシーンを自分で演出する喜び。自分の死への戸惑いや恐怖を上回る高揚。何もかもを手にしたと思われていた自分がたった一つ手に入れることのできなかった「人を愛する心」を手にした今、どのように終焉へ向かうドラマを繰り広げようかとそのことで頭は一杯になっちゃったんだろうな、と思います。
「透への『愛』に狂う・・・ということに狂ってゆく」そんな彼は嬉しそうで、幸せそうで。彼の長年の友人野々村はそんな彼の様子を見て、呆れながら「あんた、いま、すごく幸せなんだろう」と言う。確かに島津は幸せだったのでしょう。
島津は野々村に、自分の恋をこう喩えて話します。「俺の中に出来やがったこの癌ってやつ――こいつはたぶん、ほかならぬ・・・・・・森田透への恋そのものなんだと俺は理解している。そう思えば、こいつさえもなかなかいとしい。というか、いじらしいね。俺が人を好きになるってことは、がん細胞のようなものなんだなぁ、としみじみ思うとな」
島津はがんという病で死ぬのではなく、透への愛で死ぬのだと。
でも、私はやっぱり島津は間違ってしまったのだと思わずにはいられませんでした。島津は初めて落ちた恋と迫り来る「死」への戸惑い、そして何より、その幕引きを自分で演出できる機会を与えられたことへの喜びに冷静な判断ができなくなっていたのだろうな、と。
自分の恋に目が眩んで、透の島津への愛情をないがしろにしすぎた、というか、見誤っていたんじゃないかな。「朝日〜」からしっかり二人の関係を見ていた読者は、透が良を愛することができたのは「島津が透を守っていた」からだって、ちゃんと分かるんです。
透には島津という「帰る場所」があるからこそ、他の人に優しくできたんじゃないかなぁ。透を愛した雪子と朝美の母娘、そして良。良にボロボロにされた風間俊介ですら、良を奪った透を憎めずに、むしろ誰よりも慕って、大切にするようになる。そんな透の優しさや強さは島津との関係が育んだものなのに。
そんな透が、自分が死んだ後どうなるか。もちろん島津はそれを心配していたけれども、それでも良がいれば何とかなると高を括っていたように思う。でも、透の島津への愛はそんな生易しいものではないのです。
島津が「自分の側にいてくれ」と乞うた時、透は血を吐くような思いで「明日、良と別れてくる」と宣言しました。それを島津は泣いて止めたけど、透はその場しのぎでそんな事を言う人間ではありません。透がそう一度でも口にしたということは、彼の中ではもう良を裏切った事になってしまうのです。島津が死んでしまってひとりぼっちになっても、良を裏切った自分を彼は絶対に許さない。透が良と幸せに暮らす未来はその瞬間消えたのに。
でも、島津はそれに気付けなかった。冷静だった時の島津なら、透のことを誰よりも理解している島津なら、それを決して言わせはしなかったと思う。でも、島津は言わせてしまった。島津はその事の責任を取らなければならなかったと思うのです。
末期がんのターミナルケアとか、植物状態の人間の心臓が止まるまで呼吸器は止めないとか、そういうのって病床の本人の為だけじゃなくて、残される人の為でもあると思うんです。これから大切な人を亡くすことが決まってしまった残される人が心の準備をする時間。
島津は透にそれを与える義務があったと思う。
でも、彼が透に求めたのは「期限付きの愛欲の日々」
このあたり、かなり「ラブ」とは程遠い、かなり悲惨な描写というか状況が続きます。正直、BLとして読み進めるのは難しい。でも栗本さんの描かれてきた「愛」とはこういうモノだったように思います。愛するがゆえ求めるだけ求め、奪うだけ奪う・・・そんな征服者を愛するがゆえ流され、受け入れて、自分のすべてを委ね、差し出す・・・そんな弱きいきもの。そんな構図。
そんな日々に幕を下ろしたのも、島津自身でした。
綺麗すぎて島津らしいと言えば、あまりにらしくって、最期の最期まで自分の美意識を譲らなかった勝手な人が憎らしかったです。本当に透を愛していて、透の愛を信じていたならば延命治療でも何でもして、一分でも一秒でも長生きして、透を愛してあげれば良かったのにと思う。
そうして、ギリギリまで頑張って、それでも最期の時が来た時に透の手を取って「愛してるから、生きて、幸せになって欲しい」と頼めば良かったのに。そうすれば透は幸せにはなれないかもしれないけど、生きてはゆけたと思うのです。
でも、それをできないから島津正彦であったのだし、そんな島津を受け入れる透だからこそ、島津は透を愛したのだろうし。ある意味、二人らしい結末だったのかな。
眠りに落ちてゆく透にありったけの愛を子守唄のように囁いて、そして眠ってしまった透を見つめ、彼は何を思ったのだろう?
そして、全ての準備を整えて、多量の睡眠導入剤薬を飲み下し、眠りに落ちるまで彼は何を考えていたのだろう?
閉じてゆく自分の呼吸を聞きながら、目蓋に浮かぶ透の姿だけを追って、透への愛だけを呟いて、そうして、彼は幸せに眠りに落ちたのでしょうね。実に栗本さんらしいやり方で島津の人生を描ききったと思います。島津はこういう人生を送るしかなかった、としか言いようが無い程の鮮やかさでした。
ここで島津の人生と恋は見事に完結したのですが、残された透の人生は続いてゆくのです。
(透のこれからについて)
透の愛は常に相手ありき、で。自分が愛したものには、どんなに苦しくて、どんなに辛くても丸ごと全てを差し出すことでしか、彼は自分の愛を示せない。というか、そういう愛しか彼には無いのでしょう。
巽を愛したときもしかり。雪子の事件に巻き込まれたときもしかり。そして島津との愛もしかり。
島津が望むならどんなことでも受け入れてしまうような愛し方しかできなかった透、だから島津が望まない生を自分が望むことすら考えられない。
でも、透にはその権利があったのに。
泣いて縋ればよかったのに。そんなに自分を愛していてくれるなら自分の為に、少しでも長い間生きてくれと。一緒にいたいと、愛し合いたいと叫べば良かったのに。でも、それをできない透だからこそ、島津は「聖母マリア」と称して彼を愛してしまったのでしょうけれども。
でもね、透は気付かなかったけれども、巽を失った後、どうして立ち直ることができたのでしょう?島津がいてくれたからですよね。雪子との問題を自分の身を挺して庇って、解決してくれたのも島津でした。良とのことですら、島津が色々と手を回してくれたからこそ辿り着けた。
そんな島津を失って、これから透はどうすればいいの?
島津の死後、透が感じていた気配は確かに島津の幽霊だったんだろうなぁ、と思います。以前、島津が透を置いて映画の撮影の為フランスへ旅立つ時、さんざん「飛行機が落ちても、自分は霊になっても透の所へ帰ってくる」と言い張った島津のことだから、きっと死後も透を見守っていたのでしょう。
透もそれを感じて、「彼はここにいる」と安心して、彼の気配と共に生きてゆければそれでいいと納得してしまっていましたが。
物語はそこで閉じてしまっても良かったのに、と思いました。耽美小説、BL小説・・・そういうものの中でなら、それはアリだと思うんです。現に栗本さんならそれをしてもおかしくないと思うし。島津のいた場所で、島津の幽霊とだけ語り合い、二人だけの閉じた世界で、きっと透はやがて本当に「その時」が来るまで穏やかに生きてゆけたのでしょう。
でも、栗本さんはそれをしなかった。
透にそれでも生きろと。初めてかけがえのないものを永遠に失ってしまったことに気づき、絶望的な喪失感に打ちのめされて、ただ自分は生きているのだと、透にその証の涙を流させながら、この物語は終わってしまいます。
今までの栗本薫という作家さんなら、きっとその後の透の物語の続きを描いてくれたことでしょう。栗本薫の物語には「再生」という「希望」が描かれることが多いように思います。特にこの「東京サーガ」と呼ばれるシリーズでは。
「翼あるもの」で透は自分が唯一愛した男、そして唯一愛してくれた男「巽竜二」を自分のせいで失ってしまいます。その罪を、そして巽への想いを忘れられずに生きてきた透が島津という年上の男に支えられ、見守られながら、良を愛し、良に愛されるようになって、初めて透は「巽」という鎖から開放され、「再生」することができました。
そして、裕福な家に生まれ、豊かな才能に恵まれ、何一つ不自由しない身分でありながら人を愛することなく、歪な魂を抱いていた「島津正彦」もまた透を見守りながら、いつしか人生初めての愛を知り、その透への愛で彼は今までの人生から「再生」し、自分らしい人生を全うしました。
その他にも「死は優しく奪う」で愛する女に裏切られ、その女を殺して破滅したかと思われた「金井恭一」というミュージシャンもこの「朝日のあたる家」ではプレイヤーとして復活しており、この「朝日のあたる家」で良に溺れるあまりに何もかもを失った「作曲家・風間俊介」もその後の「嘘は罪」という作品で新しい才能を見つけ、もう一度音楽に対する情熱や生きる意味を見出すことになります。
このブログでも一度触れたサックスプレイヤーの矢代もまた「キャバレー」「黄昏のローレライ」「流星のサドル」「身も心も」で何度も事件に巻き込まれ、挫折を味わっても、そのたびに成長し、生まれ変わってゆく。
だから、島津を失ってしまった透の「再生」の物語を読みたかった。でも物語の続きを望んでも、栗本薫さんはもういなくて。この本を読了した後で初めて「作家さんの死は登場人物の死だ」と感じました。どんなに望んでも、この先の物語を読むことはできないんですよね。
それがひたすら悲しいです。
これから、どうなるのだろう?と想像してみました。
この物語ではみごとに蚊帳の外だった今西良。彼はどうなるのかな?私の勝手な想像なんですけど、初めて全てのしがらみから解き放たれた刑務所の中で、彼は「長崎のひと」に出会うのではないかな?
「朝日〜」の中で彼がこだわっていた「長崎での日々」。愛する人と幸せな時間を過ごした夢は、「翼あるもの」のパラレル・ワールド的な物語「真夜中の天使」に描かれていた「違う世界のもう一人の今西良」の記憶ですよね?
その「もう一人の今西良」と共にいた「長崎のひと」はマネージャーの滝なので、きっと「もう一人の滝」と良は巡り逢うのではないかと。そこからどんなドラマが繰り広げられるのかは分からないけれども、できればその滝と共に、今度こそ幸せになって欲しいと願います。
そんな良を、かつて島津が自分にしてくれたように見守り、支えてゆくのが透の人生になるのかも。島津が与えてくれたものを今度は自分が誰かに返しながら、「島津ならこうしたかも、島津だったらどう思った?」答えをくれる島津はいなくても、そういうふうに人に与えながら、そうして島津がいつか迎えに来てくれるのを、あの場所で静かに待ち続けるんじゃないかな?
なんか、すごい感想というか、妄想というか、とりとめのない感情の迸り(苦笑)長々とすみません(大汗)でも、この作品を読み終わって、ようやく私の中で栗本薫という作家さんの死を実感したような気がします。大好きな作品を沢山書かれた作家さんでした。彼女がいなければ、今の私はいなかった、別の人生を歩んでいたと思います。それくらい少女の頃の私の心に影響を与えた方でした。
心からご冥福をお祈りいたします。本当に沢山の物語をありがとうございました。
島津の恋は「行き止まりの恋」だったのだなぁ、と思いました。人が羨む出自、才能、容姿。なにもかもを手に入れているように見えた彼ですが、幼い頃のトラウマから人を信じたり、愛したりすることのできない人でした。
そんな彼が長い間見守り続け、支えてきた森田透への恋を自覚したとき、その透は運命の相手・今西良と結ばれてしまいました。それでも彼は「朝日〜」のラストで泣きながら透に愛を告白し、命を賭けて守ると宣言する。
多分、彼は生涯一度の恋を抱きながら、透が良との恋で幸せになっても、不幸になっても、それを見守り、支え続けようと思っていたのだと思います。その後、彼は透を投影させたヒロインの小説を執筆するようになり、文豪としての新たな道を歩み出し脚光をあびてゆく。
自分が生涯叶えることはないであろう透への愛。己の小説の中で何度も何度も繰り返し透を愛し、透に愛を乞い、犯し、殺す。そうすることによって、島津は決して手に入らない透への想いに少しずつ、静かに狂っていったのだと思います。
そんな彼に決定的に留めを刺したのは「胃がん」という病。
この先、良が刑期を終えて透の元へ帰って来た時、嫉妬で狂う自分を想像して苦しんでいた彼は、きっとようやく見えた幕引きへのあらすじが見えたことで、歓喜したんじゃないかな。
自分の人生のラストシーンを自分で演出する喜び。自分の死への戸惑いや恐怖を上回る高揚。何もかもを手にしたと思われていた自分がたった一つ手に入れることのできなかった「人を愛する心」を手にした今、どのように終焉へ向かうドラマを繰り広げようかとそのことで頭は一杯になっちゃったんだろうな、と思います。
「透への『愛』に狂う・・・ということに狂ってゆく」そんな彼は嬉しそうで、幸せそうで。彼の長年の友人野々村はそんな彼の様子を見て、呆れながら「あんた、いま、すごく幸せなんだろう」と言う。確かに島津は幸せだったのでしょう。
島津は野々村に、自分の恋をこう喩えて話します。「俺の中に出来やがったこの癌ってやつ――こいつはたぶん、ほかならぬ・・・・・・森田透への恋そのものなんだと俺は理解している。そう思えば、こいつさえもなかなかいとしい。というか、いじらしいね。俺が人を好きになるってことは、がん細胞のようなものなんだなぁ、としみじみ思うとな」
島津はがんという病で死ぬのではなく、透への愛で死ぬのだと。
でも、私はやっぱり島津は間違ってしまったのだと思わずにはいられませんでした。島津は初めて落ちた恋と迫り来る「死」への戸惑い、そして何より、その幕引きを自分で演出できる機会を与えられたことへの喜びに冷静な判断ができなくなっていたのだろうな、と。
自分の恋に目が眩んで、透の島津への愛情をないがしろにしすぎた、というか、見誤っていたんじゃないかな。「朝日〜」からしっかり二人の関係を見ていた読者は、透が良を愛することができたのは「島津が透を守っていた」からだって、ちゃんと分かるんです。
透には島津という「帰る場所」があるからこそ、他の人に優しくできたんじゃないかなぁ。透を愛した雪子と朝美の母娘、そして良。良にボロボロにされた風間俊介ですら、良を奪った透を憎めずに、むしろ誰よりも慕って、大切にするようになる。そんな透の優しさや強さは島津との関係が育んだものなのに。
そんな透が、自分が死んだ後どうなるか。もちろん島津はそれを心配していたけれども、それでも良がいれば何とかなると高を括っていたように思う。でも、透の島津への愛はそんな生易しいものではないのです。
島津が「自分の側にいてくれ」と乞うた時、透は血を吐くような思いで「明日、良と別れてくる」と宣言しました。それを島津は泣いて止めたけど、透はその場しのぎでそんな事を言う人間ではありません。透がそう一度でも口にしたということは、彼の中ではもう良を裏切った事になってしまうのです。島津が死んでしまってひとりぼっちになっても、良を裏切った自分を彼は絶対に許さない。透が良と幸せに暮らす未来はその瞬間消えたのに。
でも、島津はそれに気付けなかった。冷静だった時の島津なら、透のことを誰よりも理解している島津なら、それを決して言わせはしなかったと思う。でも、島津は言わせてしまった。島津はその事の責任を取らなければならなかったと思うのです。
末期がんのターミナルケアとか、植物状態の人間の心臓が止まるまで呼吸器は止めないとか、そういうのって病床の本人の為だけじゃなくて、残される人の為でもあると思うんです。これから大切な人を亡くすことが決まってしまった残される人が心の準備をする時間。
島津は透にそれを与える義務があったと思う。
でも、彼が透に求めたのは「期限付きの愛欲の日々」
このあたり、かなり「ラブ」とは程遠い、かなり悲惨な描写というか状況が続きます。正直、BLとして読み進めるのは難しい。でも栗本さんの描かれてきた「愛」とはこういうモノだったように思います。愛するがゆえ求めるだけ求め、奪うだけ奪う・・・そんな征服者を愛するがゆえ流され、受け入れて、自分のすべてを委ね、差し出す・・・そんな弱きいきもの。そんな構図。
そんな日々に幕を下ろしたのも、島津自身でした。
綺麗すぎて島津らしいと言えば、あまりにらしくって、最期の最期まで自分の美意識を譲らなかった勝手な人が憎らしかったです。本当に透を愛していて、透の愛を信じていたならば延命治療でも何でもして、一分でも一秒でも長生きして、透を愛してあげれば良かったのにと思う。
そうして、ギリギリまで頑張って、それでも最期の時が来た時に透の手を取って「愛してるから、生きて、幸せになって欲しい」と頼めば良かったのに。そうすれば透は幸せにはなれないかもしれないけど、生きてはゆけたと思うのです。
でも、それをできないから島津正彦であったのだし、そんな島津を受け入れる透だからこそ、島津は透を愛したのだろうし。ある意味、二人らしい結末だったのかな。
眠りに落ちてゆく透にありったけの愛を子守唄のように囁いて、そして眠ってしまった透を見つめ、彼は何を思ったのだろう?
そして、全ての準備を整えて、多量の睡眠導入剤薬を飲み下し、眠りに落ちるまで彼は何を考えていたのだろう?
閉じてゆく自分の呼吸を聞きながら、目蓋に浮かぶ透の姿だけを追って、透への愛だけを呟いて、そうして、彼は幸せに眠りに落ちたのでしょうね。実に栗本さんらしいやり方で島津の人生を描ききったと思います。島津はこういう人生を送るしかなかった、としか言いようが無い程の鮮やかさでした。
ここで島津の人生と恋は見事に完結したのですが、残された透の人生は続いてゆくのです。
(透のこれからについて)
透の愛は常に相手ありき、で。自分が愛したものには、どんなに苦しくて、どんなに辛くても丸ごと全てを差し出すことでしか、彼は自分の愛を示せない。というか、そういう愛しか彼には無いのでしょう。
巽を愛したときもしかり。雪子の事件に巻き込まれたときもしかり。そして島津との愛もしかり。
島津が望むならどんなことでも受け入れてしまうような愛し方しかできなかった透、だから島津が望まない生を自分が望むことすら考えられない。
でも、透にはその権利があったのに。
泣いて縋ればよかったのに。そんなに自分を愛していてくれるなら自分の為に、少しでも長い間生きてくれと。一緒にいたいと、愛し合いたいと叫べば良かったのに。でも、それをできない透だからこそ、島津は「聖母マリア」と称して彼を愛してしまったのでしょうけれども。
でもね、透は気付かなかったけれども、巽を失った後、どうして立ち直ることができたのでしょう?島津がいてくれたからですよね。雪子との問題を自分の身を挺して庇って、解決してくれたのも島津でした。良とのことですら、島津が色々と手を回してくれたからこそ辿り着けた。
そんな島津を失って、これから透はどうすればいいの?
島津の死後、透が感じていた気配は確かに島津の幽霊だったんだろうなぁ、と思います。以前、島津が透を置いて映画の撮影の為フランスへ旅立つ時、さんざん「飛行機が落ちても、自分は霊になっても透の所へ帰ってくる」と言い張った島津のことだから、きっと死後も透を見守っていたのでしょう。
透もそれを感じて、「彼はここにいる」と安心して、彼の気配と共に生きてゆければそれでいいと納得してしまっていましたが。
物語はそこで閉じてしまっても良かったのに、と思いました。耽美小説、BL小説・・・そういうものの中でなら、それはアリだと思うんです。現に栗本さんならそれをしてもおかしくないと思うし。島津のいた場所で、島津の幽霊とだけ語り合い、二人だけの閉じた世界で、きっと透はやがて本当に「その時」が来るまで穏やかに生きてゆけたのでしょう。
でも、栗本さんはそれをしなかった。
透にそれでも生きろと。初めてかけがえのないものを永遠に失ってしまったことに気づき、絶望的な喪失感に打ちのめされて、ただ自分は生きているのだと、透にその証の涙を流させながら、この物語は終わってしまいます。
今までの栗本薫という作家さんなら、きっとその後の透の物語の続きを描いてくれたことでしょう。栗本薫の物語には「再生」という「希望」が描かれることが多いように思います。特にこの「東京サーガ」と呼ばれるシリーズでは。
「翼あるもの」で透は自分が唯一愛した男、そして唯一愛してくれた男「巽竜二」を自分のせいで失ってしまいます。その罪を、そして巽への想いを忘れられずに生きてきた透が島津という年上の男に支えられ、見守られながら、良を愛し、良に愛されるようになって、初めて透は「巽」という鎖から開放され、「再生」することができました。
そして、裕福な家に生まれ、豊かな才能に恵まれ、何一つ不自由しない身分でありながら人を愛することなく、歪な魂を抱いていた「島津正彦」もまた透を見守りながら、いつしか人生初めての愛を知り、その透への愛で彼は今までの人生から「再生」し、自分らしい人生を全うしました。
その他にも「死は優しく奪う」で愛する女に裏切られ、その女を殺して破滅したかと思われた「金井恭一」というミュージシャンもこの「朝日のあたる家」ではプレイヤーとして復活しており、この「朝日のあたる家」で良に溺れるあまりに何もかもを失った「作曲家・風間俊介」もその後の「嘘は罪」という作品で新しい才能を見つけ、もう一度音楽に対する情熱や生きる意味を見出すことになります。
このブログでも一度触れたサックスプレイヤーの矢代もまた「キャバレー」「黄昏のローレライ」「流星のサドル」「身も心も」で何度も事件に巻き込まれ、挫折を味わっても、そのたびに成長し、生まれ変わってゆく。
だから、島津を失ってしまった透の「再生」の物語を読みたかった。でも物語の続きを望んでも、栗本薫さんはもういなくて。この本を読了した後で初めて「作家さんの死は登場人物の死だ」と感じました。どんなに望んでも、この先の物語を読むことはできないんですよね。
それがひたすら悲しいです。
これから、どうなるのだろう?と想像してみました。
この物語ではみごとに蚊帳の外だった今西良。彼はどうなるのかな?私の勝手な想像なんですけど、初めて全てのしがらみから解き放たれた刑務所の中で、彼は「長崎のひと」に出会うのではないかな?
「朝日〜」の中で彼がこだわっていた「長崎での日々」。愛する人と幸せな時間を過ごした夢は、「翼あるもの」のパラレル・ワールド的な物語「真夜中の天使」に描かれていた「違う世界のもう一人の今西良」の記憶ですよね?
その「もう一人の今西良」と共にいた「長崎のひと」はマネージャーの滝なので、きっと「もう一人の滝」と良は巡り逢うのではないかと。そこからどんなドラマが繰り広げられるのかは分からないけれども、できればその滝と共に、今度こそ幸せになって欲しいと願います。
そんな良を、かつて島津が自分にしてくれたように見守り、支えてゆくのが透の人生になるのかも。島津が与えてくれたものを今度は自分が誰かに返しながら、「島津ならこうしたかも、島津だったらどう思った?」答えをくれる島津はいなくても、そういうふうに人に与えながら、そうして島津がいつか迎えに来てくれるのを、あの場所で静かに待ち続けるんじゃないかな?
なんか、すごい感想というか、妄想というか、とりとめのない感情の迸り(苦笑)長々とすみません(大汗)でも、この作品を読み終わって、ようやく私の中で栗本薫という作家さんの死を実感したような気がします。大好きな作品を沢山書かれた作家さんでした。彼女がいなければ、今の私はいなかった、別の人生を歩んでいたと思います。それくらい少女の頃の私の心に影響を与えた方でした。
心からご冥福をお祈りいたします。本当に沢山の物語をありがとうございました。



